「モノとしての確かさ」とは何かが知りたくて
「自分の手で一から織ることで、モノとしての確かさが生まれると思っていて……」
柔らかな物腰に、優しげな微笑をたたえて、その人は言った。
2019年12月7日、大阪難波・道頓堀にあるBRU NA BOINNE OSAKAでは、手織ストールブランド「tsutae」のオーダーイベントが開催されていた。
近未来的な調度の中にカーテンのようにずらり並べられた作品の数々。中でもひときわ目を引いたのが、「tsutae」主宰であり手織人・酒寄剛史さんの代表作の一つ、「オーバーショット織」のストールだった。
アトランダムに見える模様は一枚の布の表情に深い奥行きを出している。そこにブルーナボインによるカラーの別注が入ったことで、模様の力が何倍にも増していた。
僕はその力にすっかり魅了された。そして、こんなうっとりするような作品を作っている酒寄剛史という人について、知りたくなった。
知りたくなったら、即調べる。それが僕の性だ。お店の隅で織機を使う酒寄さんを質問ぜめにするのに、ためらいは一切なかった。
あれやこれや、根掘り葉掘りと訊く中で出てきた言葉が、冒頭の「自分の手で一から織ることで、モノとしての確かさが生まれると思っていて……」だったのだ。
「モノとしての確かさというのは、どういう意味ですか?」という質問もしたが、酒寄さんからもらった回答を、僕の頭はすんなりと呑み込めなかった。
「モノとしての確かさってなんだ?」僕の頭の中はその問いでいっぱいになった。どうしても答えが知りたい。モノとして、確かであるとは、いったいどういうことなのか。
「tsutae」の他の作品も見て、触って、巻いて、考えては見たけれど、やっぱりわからない。そこまでして、「多分これは、自分のモノにしてみないことにはわからないな」と諦めた。
僕はBRU NA BOINNE OSAKAのドン氏にブルーナボイン別注の赤のオーバーショット織のストールをお願いし、酒寄さんが僕のために織り上げてくれるのを待つことにした。
手織人「酒寄剛史」とは何者なのか?
図案を決める。糸を選ぶ。経糸を作る。横糸を通していく。こう書くとシンプルに思えるが、シンプルだからこそ、それを延々と続けられる人間は限られている。人間は飽きる生き物だからだ。
しかし手織人である酒寄さんは、生業としている。いったいこの人は、どんな経緯(ゆくたて)と精神の持ち主なのか。
イベントから帰ってきた僕は、そのことが気になってしようがなかった。
気になったら、即調べる。インスタグラムから公式サイトに飛び、さらに過去のブログにまで飛んで、酒寄さんが書いた文章を少しずつ読み始めた。
行きつ戻りつを繰り返す内的葛藤、積み上げられる自信、湧き上がる失望……素朴に、静かに語られる心の動きとは対照的な、初期作品群の混沌や爆発。
10年前のブログから感じたものを言葉にすると、こんなふうになる。読めば読むほど、作品を手に取るのが楽しみになったし、酒寄さんのことがもっと気になった。
仕事が立て込んだこともあって、時間はあっという間に過ぎた。年を越し、1月も終わりに近づいた頃、ドン氏からストール到着の知らせが届く。
作品を手にして感じた「モノとしての確かさ」の片鱗
届いたストールを一目見た時、布の力に圧倒されて息を呑んだ。
展示会などでサンプルを見て発注し、数ヶ月後に品物を手に取った時の印象は、大きく3種類に分かれる。すなわち、
- あれ?こんなもんだったっけ?
- うんうん、やっぱりいいよな。
- おいおい、これこんなに良かったか?
の3つだ。このストールに関しては、圧倒的に3つ目だった。
猛獣と対面したかのような緊張感、むせ返るほどの存在感、それとは真逆の柔らかく、寄り添うようなつけ心地。
「ああ、これが酒寄さんの言う、『モノとしての確かさ』なのかもしれないな……」と、約2ヶ月を経て少しだけ合点がいった気がした。
その瞬間、僕はゾクリとした。
今首元に巻いているストールには、酒寄さんのブログを読んでいた時に感じた「常軌を逸した何か」がある。
こんなものを、あの、物腰の柔らかい、一見ロハスなムード漂う人が作ったのか?
単なる好青年では、多分こんなものは作れない。
だとすれば、酒寄剛史という人のなかには、煮詰めて煮詰めてドロドロになったスープのような、濃厚でギリギリな何かが潜んでいるのではないだろうか。
その底知れなさに、ドキドキしている自分がいた。
お気に入りのマルジェラのコートの上から、「tsutae」のストールを羽織り、店を後にする。
「もっと酒寄さんのことが知りたい」
「そしてあわよくば、酒寄さんの存在を世界に知らしめたい」
そう思ったのだった。
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「モノとしての確かさとは何か」
「手織物の力とはどんなものか」
そして「酒寄剛史さんとはどんな人なのか」
知りたいことはまだまだある。だから、それなら、直接会いにいくしかない。
ということで、3月の上旬ごろ、僕は酒寄さんの工房を訪ねることにした。次はどんなことが知れるのか、楽しみで仕方がない。