「解決策がわかっていて、解決したいと思っているはずなのに、その解決策をとらない人」「努力すればなりたい自分になれることがわかっているのに、努力ができない人」僕は大学時代くらいから、こういう人の気持ちや頭の中がまったく理解できなかった。

これはテストの解答がわかっているにもかかわらず、みすみす答えを書かずに答案を提出しているようなものである。いったいどういうことなのか。

しかし今日風呂に入っていてはたと思い当たった。ひょっとするとこういう人たちは「解決をする」「なりたい自分になる」ということそのものを忘れてしまっているのではないか。こう考えたのにはわけがある。話が長くなるので、「読んでやろうか」と思う人だけ読んでほしい。

鬱になったときのことである。「頑張りたいのに頑張れない」「仕事に行きたいのに行けない」という時期がおよそ3年続いた(そしてそのまま仕事に「行く」ことはしなくなった)。今になって思うのは、このときの僕は「自分が本当にやりたいことをする」「自分が楽しいと思うことをする」ということそのものをキレイさっぱり忘れてしまっていたのだ。

何が自分がやりたいと思うようなことだったのか、楽しいと思うことだったのか。もしかすると本当にやりたいことをしていたのは小学校に入るまえ、SDガンダムや動物のぬいぐるみで一人遊びをしていた頃にまでさかのぼるかもしれない。それくらい大人になる過程で「他人の期待に応える」ことが自分の中の至上目的になっていたように思う。

もちろんSDガンダム時代から向こう20年以上も「やりたいこと」や「楽しいこと」をしてこなかったわけではない。むしろ自由に育ててもらった方だとは思う。

しかし何をするにも兄姉と自分を比較し、彼らに打ち勝つことを自分に課してきたのは確かだし、両親に褒めてもらいたい一心だったのも確かだ。水泳も、書道も、恋も、少林寺拳法も、バスケも、高校も、大学も、すべてがその行動原理に基づいている。

「ただ自分が楽しむためだけにやること」が「本当に自分が楽しいと思うこと」だとしたら、この行動原理に基づく限り、僕は決して「本当に自分が楽しいと思うこと」をすることはできない。「兄姉に勝ちたい」「両親に褒められたい」という動機がある限り、それは純粋な自分の欲求ではないのだ。

人生のほとんどに相当する20年以上もこの行動原理で生きていると、SDガンダム時代の自分の価値観などとっくの昔に忘れてしまっている。一人でSDガンダムやぬいぐるみに役割を与え、いくつもの役柄を一人で演じているのが楽しかったときの感覚など、「子供の頃の恥ずかしい思い出」としてなかったことにしてしまう。

これが僕にとってはいけなかった。

さんざっぱら他人の期待を根拠に自分を振り回した挙句、自分がどこにいたのかよくわからなくなって、僕は倒れた。そして倒れたままうずくまって2年ほど考えた結果、思い出したのだ。

SDガンダム時代だけではない。延々と一人でリングに向かってシュートを打ち続けるのが無性に楽しかった小学校時代のこと。

誰に見せるでもなくノートにポエムを書き付け、一人ほくそ笑んだ中学時代や、怪我をしてプレイできないからと黙々と一人筋トレに勤しんだ高校時代、飲み会の誘いを断ってまで図書館にこもって本を読んだ大学時代。

思えばブックオフ時代も他の社員が来るより1時間早く出勤し、一人で数字の勉強をしていたときも「あー楽しいな!これ!」と独り言を言っていた。僕は結局のところ、一人遊びが大好きなのだった。

こういう自分が知らない間になかったことにしている記憶というものは、出会うべきときに出会わないと単なる「思い出」としてスルーしてしまう。僕は2年間もうずくまっていても許される環境だったから、その思い出の重要性に気づけただけである。本当にラッキーだったと思うし、気づかせてくれた人たちには感謝の言葉しかない。

そこで本題である。「解決策がわかっていて、解決したいと思っているはずなのに、その解決策をとらない人」「努力すればなりたい自分になれることがわかっているのに、努力ができない人」こういう人たちは、自分が「解決しようと思って解決できたこと」「なりたい自分になるために努力できたこと」の記憶を忘れてしまっているのではないか。だから「結局解決なんてできない」「自分は努力できない」と自分を決めつけてしまうのである。

そもそも多くの人は二本足で立つことができない段階から「歩こう」と思って歩いているし、そのために何度もこけたり泣いたりしているはずだ。すでに解決したいと思って解決しているし、努力してなりたい自分にもなっている。他にもこういう「過去」は誰にでもある。

ただ、それを見過ごしているだけだ。

自分の中の「本当にやりたいと思うこと」「本当に楽しいと思うこと」を見つけるには、今の社会人は忙しすぎる。他人の期待や押し付けや足の引っ張りあいが多すぎる。

しかし人生においてそんなもの、単なるノイズに過ぎないと思う。「本当にやりたいと思うこと」「本当に楽しいと思うこと」を僕達は誰でもできる。そのことを思い出してほしい。おせっかい以外の何物でもないが、その方がきっともっと面白くなるはずだ。

「でも」「だって」と思った人に、尊敬する上司に言われた言葉を贈ろう。

「また言い訳すんの?ほんとズキちゃんは言い訳マンだね」