先日ある友人からこんな話を聞いた。大学時代からうつ病を患っていた友人Xが、最近になって人間関係が原因でうつ病を悪化させ、会社を休職して実家に戻った。

職場環境は最悪だったようだ。無責任なクソ上司は延々とXに自分のケツを拭かせ続け、保守的な人事部はその状況を知っていながらもクソ上司ではなくXを糾弾し続けた。その中でも馬鹿正直にケツを拭き続け、人事部の馬鹿げた評価を真に受けてしまったXは自分自身を肯定できなくなり、結果心を壊されてしまう。
Xは典型的な鬱体質で、責任感が強く、高い理想を持ち、それに向かって努力することを怠らない人間だ。そんな性格だからうつ病である自分を長い闘病生活にもかかわらず、未だ受け入られていない。「うつ病を言い訳にして仕事を休んだり、休職したりするような人間にはなりたくない」とさえ思っていた。そして今、自分がその「なりたくない人間」になってしまったことで完全にパニックに陥り、文字どおり手も足も動かない状態になってしまったのだった。
聞けばXが自分を肯定するためのよりどころは「仕事」だったという。仕事をこなし、周囲から認められることが、自分を肯定するための唯一の理由だったというのだ。地方の田舎町から大都市・大阪の中心部に住み、働いていたXにとって、自分を自分たらしめるものは「仕事」しかなかった。
 この話を聞いた僕は、即座に自分の社会人1年目の頃を思い出した。高知大学を卒業し、たった1人で神奈川・川崎に出てきた僕は、夜も煌々とネオンが輝く街で働き、職場から徒歩10分のワンルームマンションに住んでいた。働き始めてすぐの時期こそあちこち出かけもしたが、そもそも人混みが苦手な僕はすぐに休日は家から出なくなり、休日は夕方まで寝て、そこから深夜までぼんやり横になる日々を過ごすようになった。
 このブログでも何度か触れているように、入社して4ヶ月目には元恋人の浮気が原因でうつ病を発症し、自律神経の機能不全によって手足が鉛のように感じる「鉛様疲労感」や、突然の感情の爆発(主に僕の場合は「唐突に涙が流れる」「泣き叫ぶ」だった)と戦いながらの川崎生活だった。
上司や先輩方には本当に恵まれていたが、この時の僕にとっての「自分を肯定するためのよりどころ」は浮気をした「恋人」だったのだ。彼女に肯定されなければ、いくら仕事で評価を受けても空虚だった。浮気をされてからもそれは変わらず、時間を見つけては高知に行ったり、神戸で会ったりして、なんとか肯定してもらおうと必死だった。
ただ往々にして間違った方向の努力は報われない。僕の努力も同じだった。彼女の気持ちはどんどん離れていき、僕はそれを感じるたびに絶望感に苛まれていく。その後ある事件があって会社を辞めた後も、その絶望感は何年も僕を苦しめた。
Xにとっての「仕事」は川崎時代の僕にとっての「恋人」だと思った。自分の身を削ってまで責任を全うしようとしたり、努力をしてしまう裏側には、とてつもない「自信のなさ」がある。その自信をなんとか補完しようとして、Xは「仕事」に、僕は「恋人」に心のよりどころを求めた。しかし自信とは「自分を信じること」である。自分以外のところに根拠を求めても、決してそれは見つかりっこないのだ。  いくら仕事に肯定してもらっても、恋人に肯定してもらっても、自分が自分を肯定してやらなければ、自信は手に入らない。
仕事がなくても、
恋人がいなくても、
どこに出かけたかわからないほど背景が写っていない友人たちとの自撮り写真をSNSに投稿しなくても、
ブランド物の服やカバンに身を包まなくても、
結婚なんかしてなくても、
子供ができなくても、
可愛くなくても、
かっこよくなくても、
面白くなくても、
太っていても、
ガリガリでも、
頑張れなくても、
何もする元気が出なくても、
突然無性に悲しくなって泣きたくなっても、
わけもわからず自分の大切なはずの人まで傷つけてしまっても、
傷つけたことに自己嫌悪になって夜通し自分を呪い続けたとしても、
何もかもがうまくいかなくて死にたくなっても、
 
「自分がこのイマココにいる自分である」というそれだけのことに、よって立つ。
 今の僕はそれこそが本物の「自信」なのではないかと思っている。漫画家・小池さんの言葉を借りれば「自分の救済者は、自分自身しかいないのだと覚悟を決める事」が、本物の自信の正体なのだ。
 故スティーブ・ジョブズは米スタンフォード大学のスピーチでこう言った。
 Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. 
(君たちの時間は限られている。だから誰かの人生を生きて無駄にしてはいけない)
自分以外のところに心のよりどころを求め、そこからの肯定感で生きようとすることは、すなわち「誰かの人生を生きる」ということだ。自分の人生を生きるためには、自分にとっての唯一の救済者にならなくてはならない。そうして初めて「僕の人生」は始まるのだ。
 Xが苦しみのどん底でその圧倒的な希望に気づくことを、同じ苦しみを味わった身として、心から願っている。