いやはやなかなか派手にブログをサボってしまった。何をしていたのかというと、久々に思い切り気分が落ち込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなっていたのです。

僕の中での「どん底の気分」の目安は、特にこれといった理由もないのに何もかもが悲観的にしか見れず、涙が出てきて「う゛〜」と嗚咽を漏らしてしまう状態だ。

こうなるとたいていの「うつ対策」は効果がなく、むしろやればやるほど「何をしてもダメ」と絶望的な気分になっていく。

ここまで落ち込んだのは随分久しぶりのことだったので、かなり辛かった。

筋トレのおかげで多少落ち込んでもなんとかなっていた食欲も全くなく、一番ひどい日は朝起きてから日が落ちるまでの間に無理やり流し込んだプロテイン以外は口にせず、いざ起き上がって料理をしようとしても肉を見ると吐き気がする始末だった。

すっかり夜になってから「お腹すいた」という感覚が戻ってきたので、ここぞとばかりに炭水化物とタンパク質を押し込んだ。

こんなとき、どうすればいいのかというと、経験上文字通り何もしないほうがいい。ただぼんやり天井を見つめる。「眠いな」と思ったら夜眠れなくなってもいいから眠る。洗濯でもしようと思ったら洗濯すればいいし、いざ洗濯してみても干す気力がわかないなら干さなければいい。ただ漫然と、気分が浮き上がってくるのを待つ。

すると徐々に「外に行きたい」とか「この服が着てみたい」とか、そういった「〜したい」がやってくる瞬間がある。

ただここでも慎重になる必要がある。仮に「カラオケに行きたい」と思ったとして、ではカラオケに行ってカラオケだけして帰ってこれるかというとそうではないからだ。

店員さんと話さなくてはならないし、場合によっては他の客とのコミュニケーションも必要だ。

そこで何か落ち込むようなことがあれば、「俺はカラオケまで来て何がしたいんだ」とまともに歌わずに帰ってくる羽目になる。

だから慎重に、できるだけリスクの低い「〜したい」を選ぶ。そして一つずつ「〜したい」をこなしていって、気分を浮き上がらせていく。今回はこれがうまく行って、いろいろ代償は必要だったけれど比較的短期間で浮き上がることができた。

今回、久しぶりに落ち切ってみて感じたのが、「めちゃくちゃ落ちてるんだけど、どこかで冷静な自分」の存在だった。

例えば落ち込んでいるときに恋人とメールをしていると、少し行き違いがあっただけで「もうだめだ、呆れられた。嫌われた」と絶望的な気持ちになった。もともと依存傾向がある僕にとって、このときの気持ちは本当に辛かった。

ところが今回の僕の背後には「いやいや、何を言ってるんだ。彼女の文章は何もそんなこと書いてないだろ。普段の彼女の言動からして、そんなことを思ってないことは明白だ。頭を冷やせ」と指摘する僕がいたのだ。

もちろん落ち込んでる僕はそんなことでは立ち上がれないのだが、それでも少しは冷静になれる。

そこで今回僕がとった行動は、日本語がむちゃくちゃでも内容が整理されてなくても、今の自分の状況をただひたすら書き連ねて、彼女に僕の状態を把握してもらうことだった。僕のうつについて理解してくれている恋人は、この行動で僕の窮地を理解してくれたし、僕もそのことがわかって心底安心した。

これがそのあとのスムーズな浮き上がりのきっかけになったようにも思う。

こういう自分に対する冷静な視線というのは、これまでノートやブログでやってきた認知療法的な行動の賜物だと思う。

うつで苦しんでいる人は、「まさか」と思ってもいいから、とにかく試してみるに値する療法だと思う。

さあ、溜まった仕事をこなしていこう。

2週間穴をあけたので、ペナルティとして今日から三日間連続で投稿しようと思う。読んでいただける方はおつきあいくださいまし。