先日『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』というとんでもないタイトルの本を読んだ。しかもタイトルはとんでもないが、内容はめちゃくちゃ真面目で、非常に興味深い内容が数多く見られた。

人によってはこの記事に対して「セクハラだ」「書いたやつ死ね」とか思う人もいるだろう。しかし僕は大真面目である。本書は、「性癖」という極めてプライベートなものにまでイデオロギー(社会思想、政治思想)が入り込んでいることを証明してくれた。その恐ろしさと面白さをぜひここで共有したい。

ということで今日から3日間に分けて、本書の面白かった内容を僕の私見をプラスしつつ紹介していきたい。「猥褻文書」だと思う人は読まぬがよい。

序文

2018年現在、私たち男性にとって巨乳の存在は文字通りあまりにも大きい。エロマンガ、エロアニメ、アダルトビデオ、グラビア、少年漫画、女性が性的に表現される場において、男性は常に巨乳に一定の地位を与えている。

ここでこの「巨乳が正義」という「常識」が、比較的新しい時代の産物だと言ったら驚くだろうか。あまつさえ「巨乳」という単語が一般に認知されたのが、ほんの30年前だと言ったら、驚くだろうか。

しかしそれは事実である。現在は「爆乳」「奇乳」などといったジャンルまで生まれる「巨乳」だが、かつては「デカパイ」「ボイン」と呼ばれた時代があり、なんと「Dカップ」と呼ばれた時代もあった(現代の雑誌などで「巨乳」と呼ばれるのはGカップ以上)。そしてそれ以前の日本人は「大きなおっぱい」に関心などなく、「柳腰」に代表されるか細い女性が男性たちを熱狂させていた。これは欧米とて同じだった。

また「巨乳」の台頭には多分にイデオロギー(社会思想)的な側面がある。現代の私たちはあたかも「巨乳が大好きなのは普遍的な男性の性癖である(「男の子っておっぱい好きだよね」)と考えがちだが、実はそこには大きな時代のうねりと場合によっては政治的な影響も含まれている。

すなわち本書『巨乳の誕生』は、性癖という極めてプライベートな部分でも、私たちが同時代テクストに絡め取られていることを示唆しているのである。以下では大きく3つのトピックに分けて、私見を交えながら本書の面白かった部分をまとめていく。

巨乳は良い。

柔らかそうだし、ボディラインも曲線が強調されて美しい。

しかしその美学は、本当に「自分のもの」なのだろうか。

あなたは本当に巨乳を愛しているのだろうか、愛せているのだろうか。

イデオロギーに絡め取られているだけではないのだろうか。

私たちは今、改めて「大きなおっぱい」への愛を、確かめなくてはならない。

本稿がそのきっかけとなるなら、これ以上の幸せはない(ある)。

「巨乳好き=マニア」の時代

今でこそ「大きなおっぱいが好きだ」というと「俺も」「俺も」と盛り上がる時代だが、80年代の日本では「え、お前巨乳好きなの?ヤバァ……」みたいな空気だったという。それには色々な要因があるだろうが、そのうちの一つが「胸のでかい女はバカで感度が悪い」というとんでもない言説が挙げられる。

この発端となったのは、Erwin Otto Strassmann(1895~1972)という産婦人科だった。ドイツ出身でアメリカのヒューストンに居を移した彼は、1964年の8月31日に「大きなおっぱいと、頭の悪さには相関関係がある」とのたもうたのだ。この辺り、18世紀スイスで生まれた「見た目で犯罪者かどうか科学的に証明できる」として欧米でセンセーショナルを巻き起こし、明治期の日本にさえ影響を持った観相学や、ダーウィンの進化論を捻じ曲げて「優秀な人種だけが残るべきで、劣等種は淘汰されるべき」とした優生学(これも日本で大流行した。福沢諭吉の『学問のすゝめ』にもその影響がある)の香りがする。

Strassmannがこの説を提唱してから4年後、日本の『週刊サンケイ』は9月18日号で「バストの大きな女性は頭が悪い」というタイトルの記事を載せた。この言説は週刊誌に止まらず、当時最強のメディアだったテレビにも流れ込み、世の中を席巻していく。この勢いを後押ししたのは、なんと国家資格を持っている正規の医師だったというから驚きだ。『巨乳の誕生』では日本テレビ読売テレビ(当時は「よみうりテレビ」表記)の交互制作で1965年11月8日から1990年3月30日まで約24年半に亘って放送されていた深夜番組『11PM』に出演していた、大阪赤十字病院の木崎国嘉博士の以下の発言を引用している。

グラマーは、よく笑い、よく泣き、よく食べる、感情が強いのね。だから理論的に考えることがキライ。政治や算数のことはダメ。いっぽうのスレンダー型は理論的で、内政的で(原文ママ、内向的?)、頭のひらめきがある。(中略)バストが86だと知能指数は130、91だと100、102のバストだと80の指数、という説がある。はっきりいえばオッパイがでかいのは、バカだというのね。

(『平凡パンチ』1967年4月3日号)

今こんなことを言ったら炎上ではすまないし、「う、うわあ……」って感じだが、当時の世の中には受け入れられてしまった。「感度」に関してはおそらく「頭が悪い」からの派生イメージだろう(筆者が本書から読み逃しているかもしれない)。平成元年生まれの筆者でもマンガや大人が言っているのを聞いたことがあるくらいだから、よほど息の長い似非科学だと言える。

ただこれは私見だが、おそらく男性の「胸の大きな女の人が自分の言う通りになるような人だったらいいなあ。感度が悪くて、性に貪欲だったらいいなあ」という妄想がこの言説の流行を加速させたのではないだろうか。

当たり前だが胸の大きな女性にも才女はたくさんいて、50年代ハリウッドを代表する巨乳女優ジェーン・マンスフィールド知能指数は163、5ヶ国語を操る女性だったそうだ。しかし彼女はそんな知性をおくびにも出さず、「世間=男性」が求める「可愛いおバカなグラマー」を演じていた。一番おバカなのは自分たちの妄想に合わせて現実を捻じ曲げてしまう男性たちだった。

ここで冒頭の話に戻ろう。なぜかつての日本で「俺、巨乳大好き!」と宣言すると「え、お前巨乳好きなの?ヤバァ……」になったのか。それはつまり「頭が悪くて、エロい女が好き!」と宣言することだったからである。別に人の趣味をとやかくいうつもりはないが、かといってわざわざ宣言することでもない。

例えば筆者の世代では「アニメの女の子が好き」とかいうと得てして「え、お前ヤバァ……つらあ……」みたいなリアクションをされる。それをわかっているから筆者もむやみに「アニメの女の子が好き!」とは宣言しない。この状況にも言いたいことはたくさんあるが、いつの時代も周囲の目をはばかる趣味というものはある。80年代日本における「巨乳」がそれだったわけだ。

80年代に原宿にあった「日本初の巨乳アダルトビデオ専門店 ヴイ・レックス原宿」は全国から巨乳ファンが押し寄せるほどの人気だったそうだが、この話だけでもいかに巨乳好きがその性癖のはけ口を探していたかがうかがい知れる。「巨乳好き=マニア、変態」とされる時代は、実在したのである。