1から2のものを作る。2から3のものを作る。これももちろんクリエイションだし、0から1のものを作るのは、もっとクリエイティビティが必要だ。

ただ、1番精神的にも肉体的にもタフネスが必要なのは、10ほどの蓄積があるものを、0まで遡り、「10まで蓄積があった」という事実を踏まえたうえで、もう一度1ずつ積み上げ直すクリエイションだ。

デカルトが『方法序説』で説明してみせた、世界の全てを疑うことで、確かに存在するものが何かを特定していく手法「方法的懐疑」によく似たこの手法は、自分の中の先入観や思い込みをことごとく分解し、組み立て直すという作業の積み重ねによって成立する。

普通の人なら途中で諦めるか、狂うかのどちらかだろう。

だが、ブルーナボインの名品アランジャケットはおそらくそうした過程から生まれたライダースなのだと思う。

シングルライダース、ダブルライダースという玉石混交のカテゴリー。
これを「セミダブルライダース」なんぞの「なんとなくクリエイション」に堕することなく、慎重かつ大胆に脱構築&再構築。
しかもデザインしきることなく途中で放り出すことで、このジャケットはあらゆる瀬戸際をたゆたう唯一無二の逸品になった。

シングル、ダブル、ましてやセミダブルなどというカテゴライズを拒否するシルエットはその象徴で、ジップのしめ具合で千変万化する形態は常にエレガントだ。

気品溢れるのはフロントだけでなく、サイド、バックも同様だ。「アラン」という語音から想起されるエレガンスがにじみ出る。

何者でもない、しかし芯を感じさせる美しさ。アランジャケットはそれをレザージャケットという形で表現した。

1→2、2→3といった安直な発想からはこんなものは出てこないし、0→1のクリエイションでは、ここまでの完成度にはならない。

既存のライダースジャケットを深く深く理解し、そのうえで分解と再構成を繰り返し、足し算と引き算を繰り返し、ようやく見出した「答え」だからこそ、単なる外連とは一線どころか一世界を画している。

それに加えて、先日の直営店オーダーイベントに際して、生意気にも僕が施させていただいた3つのカスタム、すなわち

「裏地を柄レーヨン→無地総シルク」
「両サイドジップポケット→ポケットなし」
「襟裏に『Q(人生における懐疑の重要性)』のアルファベット」

の変更によって、このジャケットはより「静かな」一着へと相成ったと思う。

実のところ僕はこのジャケットにずっとずっと憧れがあった。こんなにも男の色気を湛えたレザージャケットはない。いつか欲しい。いつか着こなしたい。そう思ってきた。

しかしいくら羽織ってみても毎回「ジャケットに負けている」と感じてしまい、断念してきたのである。

原因はおそらく僕の固定的なセルフイメージにあった。いわく「自分にはアランは似合わない」「自分のセルフイメージに対して、アランは攻撃的すぎる」。

だが、この1年、いろんな服を着て、いろんな人と会って、話した。いろんな本を読み、キャパオーバーするほど仕事を積み重ねてきた。

その過程で僕のセルフイメージは徐々に変容し……というよりはそもそも固定的な自分像というものが幻なのだと、僕は気づき始めた。

加えてカスタムオーダーによって、自分の世界観にアランジャケットそのものを引き寄せることができた。

だから僕はこんなにも、このレザージャケットに胸をときめかせているのだと思う。ほんと、買ってよかった。この文章を書いてる今も着たくて着たくてしょうがない。

欲しい服は無限にあるし、同ブランドのデザイナー辻マサヒロ氏、徳田ナオコ氏の狂気的なクリエイティビティが、今の僕が思いもしない「欲しい服」を生み出し続けるだろう。

その狂気を、同じく半ば狂った(尊敬を込めて、こう表現したい)伝道師=直営大阪店のドンが、叩きつけるようなビートでレコメンドしてくれるはずだ。

僕はそうして新しい服を買い続けるわけだが、増えていく「着倒したい服」のなかにあってなお、このアランジャケットは特別な位置を占め続けるに違いない。