「着ていて落ち着く服」
「着ていて楽しい服」
「着ていて気持ちが鼓舞される服」
服は色や形なんかでも分類されるけれど、着ている時の気持ちや着る理由によっても分類できると思う。
僕自身、最近は仕事をするときもきちんと好きな服を着るようにしていて、その日の気分に応じてBGMのように服を選んでいる。
僕のクローゼットの中には、何着かの「ずっと憧れのまま着たい服」というのがある。
ものすごくかっこいいし、着ればオシャレになるはずなのに、どうにも着こなせない、そんな服だ。「いつか着こなしたい服」と言ってもいい。
そのうちの1着をあげるとすれば、僕はやっぱりコムデギャルソンシャツのフォーエバーライン(ワイドフィット)を選ぶ。
今日はこの1着のシャツを出発点に、「憧れを着る」の楽しさについて綴りたいと思う。
僕の「コム・デ・ギャルソン」体験
この投稿をInstagramで見る
大学生の頃、『ファッションニュース』という雑誌を購読していた。パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークなど世界各地のコレクションをレポートする専門誌で、1冊1,500円くらいしたように思う。
そこには世界の最先端がこれでもかというほど詰め込まれていて、ランウェイの写真が見開きでみられたり、デザイナーのインタビューが収録されていたり、目で見て楽しく、読んでも楽しい雑誌だった。
せいぜいマーガレットハウエルくらいしかコレクションに出展するようなブランドを知らなかった僕は、見たことのないファッションに夢中になった。
この投稿をInstagramで見る
そんな中で「ズガガガガーン」という音を立てて、僕のファッション観に登場したのがコムデギャルソンというブランドだった。
正直、その時にコムデギャルソンを理解できたわけではないし、「着たい」と思ったわけでもない。
当時の僕からすればあまりにも個性的すぎたし、だいいち高すぎて買えなかった(あと僕が通っていた大学のある高知県には手にとって見られる店もなかった)。
確かなのは、強烈に憧れた、ということだ。なぜ憧れたのかも、どこに憧れたのかもわからない。でもとにかく憧れた。
その漠然とした感じも含めて「ズガガガガーン」だったのだ。
とあるストライプシャツとの出会い
この投稿をInstagramで見る
それから10年の間に、うつ病と付き合いながら2つの会社を辞め、本屋のバイトを2ヶ月で辞めて、フリーのライターとして生計を立てるようになった。
手持ちのお金も10年前とは比べ物にならないほど増えたし、服への興味もより深まっていた。
大阪には心斎橋という街にコムデギャルソンの直営店がある。同じく心斎橋にあるウォールズアンドブリッジというお店にしょっちゅう通っているので、何度も前を通ったし、入ってみようと思うこともあった。
でも結局のところ、僕は何年も直営店には入れなかった。
コムデギャルソンは僕にとって憧れのままで、年を食ったからと言って、その敷居をやすやすと超えることはできなかった。
ところが、その時は去年の夏、突然にやってきた。暑さに嫌気がさしたのか、魔が指したのか、僕はふと思い立ってコムデギャルソン大阪店の扉をくぐったのだ。
広い店内に所狭しと並ぶコムデギャルソン各ラインのアイテム。『ファッションニュース』で出会って衝撃を受けたようなアイテムも、当たり前のようにラックに並んでいる(当たり前なのだが)。
時計回りに歩き、そろそろ一周を歩き終わるところで、僕はまたしても「ズガガガガーン」を味わう。
見るからに上質な生地を、見るからに丁寧な縫製で、シンプルに仕立て上げた、なんのことはないシャツ。それが「コムデギャルソンシャツ」のフォーエバーライン、ワイドフィットのストライプシャツだった。
フォーエバーラインのシャツはコムデギャルソンシャツの定番品で、体にフィットするナローフィットと、身幅を大きくとったワイドフィットの2型で展開されている。
柄は無地とストライプだけ。ストライプに関して言えば、最近はパッチワークのものも作っているが、基本的には色々なパターンのシンプルなストライプで展開されている。
その時は頭で考えていたわけではないけれど、僕が無意識に「ワイドフィット」の「ストライプ」に魅了された理由は、大きく2つあるように思う。
一つはワイドフィットの方が身幅を大きく取るぶん、着用時の生地の揺れが大きくなり、仕立てや生地の美しさが際立つこと。
もう一つはストライプの方が明らかに生地の格が違ったこと。もちろん無地もすごくいい生地なのだけれど、ストライプの生地の光沢やハリ、肌触りの滑らかさは別のシャツと言っていいくらい上質だ。実際、値段も1万円くらい違う。
店員さんに断って、試着させてもらう。
スルスルと滑るように袖が通る。生地がふわりと体を包む。店員さんの勧めで大きめのサイズを着たのだが、襟やカフスを小さく作ってあるので、不思議なくらい品良くまとまる。
ワイドフィットは背中のタックを中央で取っているので、生地のコシもあいまって、横から見たときに背中が直線的に膨らみ、美しいAラインを描いていた。
このとき、僕は鏡に映る自分自身をほとんど見ていなかったと思う。
ただただヒトのカラダに着せられたこのシャツの美しさに、うっとりと見惚れていただけ。
別にそこに立っているのは、僕でなくてよかった。シャツを着るヒトでさえあれば、誰でもよかった。
様式美として値段やサイズで迷って見せたあと、驚くほど短時間で僕は店を後にした。
もちろん、試着したシャツをコムデギャルソンのショッピングバッグに入れて。
「いつまでも着られていたい」シャツ
自宅への道中は夢見がちだった。
ついに憧れを手に入れた、と思った。しかもこの日は、帰りにいつものブルーナボインオオサカで、シャツに合うパンツも見立ててもらった。
浮き足立って、地面から数センチは浮いていたのではないだろうか。
ところが、家に帰った僕は、衝撃を受ける。さっそく買ってきたシャツの封を開けて、袖を通してみたのだけど、なんだかしっくりこない。
試着の時には見ていなかった自分が、いつもの部屋の中で着ることで前面に出てきたのかもしれない。どうにも「着られている」のだ。
うーん、うーんと悩んだ挙句、「着ているうちに慣れるだろう」と思い、その日はそのまま眠ってしまった。
残念ながら、その予想は見事に外れた。あれから半年以上、着ては洗濯し、着ては洗濯しを繰り返しているけれど、やっぱりこのシャツには着られてしまう。
僕がギャルソンのシャツを着て歩いている、のではない。
ギャルソンのシャツが、僕に着られて歩いている。
このシャツを着る時、僕は主語になれない。
普通の人なら「似合わないから」という理由で着る頻度が下がったり、もしくはメルカリに出品したりしてしまうのかもしれない。
でも僕は、これが嬉しくてたまらない。
「コムデギャルソンはこうでなくちゃいけない!」と着るたびに興奮する。あんなにも強烈に、漠然と憧れたブランドの、一目見た瞬間に魅了されたシャツが、自分なんぞに早々に着こなされては困る。
このシャツには、いつまでも着られていたい。心底そう思う。
このシャツは、憧れのまま、ずっとずっと、隣で朽ちていってほしい。
このシャツは、僕にとってそういうシャツなのだ。
「憧れを着る」楽しさ
コムデギャルソンシャツ、フォーエバーラインのストライプモデルはだいたい1着5万円くらいする。余裕で量販店のスーツが買える値段だ。
もちろん、「憧れ」には金額も大切な要素だとは思う。経済的に届かないからこそ「いつか」と思う部分もあるからだ。
でも一方で、金額は一要素に過ぎないし、ブランドネームだって同じだ。
値段が安くたって、ブランドバリューがなくたって、憧れたくなる服はたくさんある。
例えば僕は丈の長いシャツを昔からカッコいいと思ってきたけれど、今だにうまく着こなせず、憧れっぱなしのアイテムの一つだ。
他にも襟の大きなシャツやジャケットも憧れの服だし、ヒョウ柄とかトラ柄の服もいつか着こなせるようになりたい。
ここには値段もブランドも関係なくて、ただただ「憧れ」しかない。
そんな服を着たら、最初はきっとそわそわするだろう。自分が着ていていいのかな……変じゃないかな……。まるでずっと憧れていた女の子と付き合えた時みたいに、現実味がない感じ。
その落ち着かない、でも嬉しくて誇らしい、ふわふわした感覚が、「憧れを着る」楽しさなのだと僕は思っている。
服の楽しみ方にはいろいろあるけれど、この「憧れを着る」楽しさはぜひとも味わってほしい楽しみ方の一つだ。