マニキュアを始めた。髪を染めた。

僕は昔から「男」らしくなかった。

小さい頃、何も考えずに畳まれた服を上から順に着ていく兄の横で、僕は「あの服が着たい、あれじゃないと嫌だ」と駄々を捏ね、滅多に感情的にならない母を苛立たせた(らしい)。

トミカのミニカーやらLEGO、電車のおもちゃなどには目もくれず、姉のバービー人形で遊んだり、水族館や動物園に行くとお土産物コーナーで可愛い動物のぬいぐるみを買ってもらっては、名前をつけてごっこ遊びに耽ったりしていた(ころちゃん、しろちゃん、こんちゃん、みたいな)。

祖父母などは、「オカマじゃないのか?」と「不安」に思っていたそうだ(祖父母が育った時代を思えば、こういう表現も致し方がないだろう)。

小学校1年生で恋をした。6月ごろに転校してきた彼女は、誰もが夢中になるほど可愛らしかった。そんな少女が「たまたま空いている」という漫画みたいな理由で僕の隣の席に座ったのだ。恋をするには、あまりに条件が揃い過ぎていた。

しかし今思えばあれは恋というより、憧れだったのかもしれない。つまるところ、僕は彼女のように可憐になりたかったのだ。

ビロードのようなロングへアに、絵に描いたような大きな瞳、花弁のようなまつ毛に、ひまわりみたいな笑顔。長く伸びる華奢な手足。「男」の僕には、とうてい手に入れられないものばかり。自然、僕の目は彼女を追った。

憧れを、「恋」という名前にすり替えた……というと脚色しすぎかもしれない。でも、僕の中にはずっと、可愛いものやきれいな人への「ああいうふうになりたい」という憧れと、社会的に(具体的に言えば父親に)認められず、肉体的にもなり得ないという絶望、そしてそういう存在と一体化したいという性欲が、マーブル模様に渦巻いている。それは確かだ。

僕の父は、良くも悪くも、いや、悪い意味で「男」らしい。それでも「男」らしいことに変わりはないから、僕には昔から「男のくせに」「男なんだから」みたいなことを繰り返し言ってきた。そのたびにいたたまれない気持ちになったし、「男らしくない自分はダメだ。もっと男らしくならないと……」と考えるようになった。

中高生の頃にHIPHOPファッションに目覚めたのも、大学生の頃に大酒を煽ったり、論理や言葉を暴力的に使ったりしたのも、20代の8年くらいを筋トレに費やしたのも、たぶん全ては「男」らしくなるためだった。

そのかいあって、「男」らしいファッションをしろと言われれば何を着ればいいか、どんな髪型にすればいいかはすぐにわかるし、酒でも論理でも、暴力でも、父より「男らしく」扱うことができる。でもそれは、僕じゃない。僕が本当になりたかった自分ではない。

漫画家・押見修造さんの最新作『おかえりアリス』の主人公の一人「慧ちゃん」は今でいうジェンダーレス男子とか、女装男子、男の娘だ。しかし彼のパーソナリティは、そんなキャッチーな呼称で表現しきれるような単純なものではない。

彼は物語の冒頭で「一応男ですが、男はもう降り」た、と言う(第一巻)。そして、

「降りて…どこへ行こうって…思ったとき…」
「僕は…『こういう風(少女のような風貌)』になるのを選んだ」
「でも…まだ分かんない」
「どこへ行けばいいのか」

とも言う(第二巻)。

僕はこれを読んで、ああそうか、僕は「男」から降りたかったんだ、と思った。でもその勇気がなかった。なぜなら、降りたところでどこへ行けばいいのか分からなかったからだ。

「慧ちゃん」は「僕は男を降りただけで」「女になりたいわけじゃない」とも言う(第一巻)。人間を「男」か「女」の2つに分けて考えるなら、「男」を降りたあとは「女」になるしかない。

でも「慧ちゃん」は、そういう単純な分け方では自分を生きることができないと感じている。だから男だとか女だとか、ジェンダーレス男子とか、女装男子、男の娘なんかはもちろんのこと、LGBTQIAPKみたいな、わかったことにする表現に逃げ込まずに、「まだ分かんない」に踏みとどまっている。

裸の自分と真っ向から向き合うという、最も純粋で、真摯で、過酷な生き方を、「慧ちゃん」は選んでいるのだ。

僕にはそれができなかった。だからもう一人の主人公「洋ちゃん」と同じように、「男」らしさの枠組みの中に自分を押し込め、なんとかうまくやろうとした。

しかし、うつ病になってからの10年間、特にこの2年間で、僕は嫌になるほど自分と向き合ってきて、たくさん失敗もした。2022年の7月にはコロナにかかり、生まれて初めて医師に「今夜が山です」と言われた(と母から聞いた)。

そうして思ったのは、「何のために僕は人に合わせて生きて、自分を押し殺して生きているのか。そんなことをしても苦しいだけ。死んだあとには何も残らないうえ、死は思ったよりもすぐ近くにいるのに」ということだった。

だから僕は、マニキュアを始めて、髪も染めた。実はお化粧もしている。

今までの僕の「男の自分」という定義では、どちらも「似合わない」と思っていた。でも、そんなことはもうどうでもいい。マニキュアだって、ヘアカラーだって、高校生の時からずっとずっとずーーーーーっとやってみたかったのだ。

可愛い爪、可愛い髪の毛、きれいにお化粧もして、なりたい自分になれてる!ビバ自分!ラブ自分!

そう思えているだけで、やって良かったと思うし、これからもなりたい自分でいるために生きていきたい。

ただこの「なりたい自分」も難しくて、「僕は男を降りただけで」「女になりたいわけじゃないから」ちゃんと自分らしいマニキュアやヘアカラー、お化粧を見つけなくちゃいけない。でも今は、それがとっても楽しい。

嫌なことも、困ったなと思うことも、たくさんあるけれど、自分らしくいることだけは、大切にしたいなあと思う。