先日、脳科学者・茂木健一郎さんのブログエントリーがFacebookのタイムラインで流れてきた。「自分は変わることができるというプライド」http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8315268.htmlというエントリーだ。今日はこれについての感想文を書こうと思う。
短い文章なので読んでもらった方が確かだが、要約するとすれば最後の2文がその代わりとなるだろう。
自分は変わることができるというプライドを持つことは、心の若々しさを保つことでもある。今のままの自分でいい、何も変わらなくていいという間違ったプライドは、精神を老いさせる結果になる。
僕は今月の前半ほとんど寝込んでいて、一人で山にも行かず、自転車も漕がず、仕事もせずに過ごしていた。このエントリーを読んだ時はちょうど体調的には底にいて、「自分は変わることなんてできない、今の自分を肯定することでしか生きられない」と悲しみと憤りがないまぜになったような気持ちになった。確かに茂木さんの言うことはわかるし、「今の自分でいいんだ」と意固地になっている状態が不健康なこともわかる。でも僕はとにかく「変わることが怖い」のだ。そう思った。
体調の底を抜け出し、少しずつ活動的になった今でもこの考えはあまり変わっていない。もう少し正確に表現するのであれば、「劇的な変化には心と体がついていかないからしんどい」というように考えている。
例えば僕は週に4〜6日は何かしらのトレーニングに打ち込んでいる。それは筋トレの場合もあるし、20kg近い荷物を背負った山登りだったり、100kmのサイクリングだったりするが、どれも「自分の限界と向き合う時間」という意味ではトレーニングだ。トレーニングを繰り返すということは、常に変化し続けるということでもある。「前回の筋トレよりも今回は良い筋トレにしよう、次回はこんな風にやってみよう」といったように、何をするにも前・今・次の順に進化していけるように工夫しなければ楽しくなっていかないからだ。楽しくなっていかなければ続かないので、必然的にPDCAを繰り返すようになる。
トレーニングだけではない。僕は日常の中にも色々とPDCAを組み込んで、できるだけ自分が「生きていること」に飽きないように工夫している。週に一度の頭のオイルパックをしてみたり、歯ブラシと歯磨き粉をやめて電動歯ブラシだけにしてみたり、ヘルシーオイルを使ってみたり、最近生活を劇的に変えたストレッチもそのうちの1つだ。自分の生活に新しいものを組み込むと、少しだけ日常が刺激的になる。オイルパック導入後、僕の頭の匂いはほとんど無臭になったし、電動歯ブラシの導入で口臭も随分マシになった。ヘルシーオイルの効果は今のところ観察中だが、ストレッチは睡眠の質を劇的に改善してくれている。どれについても「もっとエスカレートしたらどうなるんだろう」とワクワクでいっぱいだ。
ただ、以前のエントリー「しょうもないことこそが人生だ。」http://hitoribu.blog.fc2.com/blog-entry-75.htmlでも書いたように、僕が毎日営々としていることはたいてい「しょうもないこと」だ。うちの祖父の言葉を借りれば「屁の突っ張りにもならない」
世の中にはもっとドラマチックに、ドラスティックに、ダイナミックに人生を変えられるモノ・コトで溢れているのだろう。しかし僕にはそうしたことに挑戦する気概、「自分は変わることができるというプライド」がない。正確には「自分はちょこっとずつだけなら変わることができるプライド」程度しかない。別に変わりたくない、変わらないんじゃないんだけど、「ドラマチックに、ドラスティックに、ダイナミックに」変わるのは怖いんだよねえ……という感じか。
こういう考え方は「心の若々しさ」が足りないのかもしれないし、もしかすると「間違ったプライド」なのかもしれない。でも「正しい」とか「間違ってる」とか、「べき」とか「べからざるべき」とか、なんかこう、強い言葉を聞くと「ふええ……こわいよぉ」となってしまう。
もちろん何かしらの前提が存在するのであればこれらの言葉は確かに有効だ。1+1の答えを2と書くのは算数のテストでは「正しい」し、そうする「べき」だろう。しかし「心が若くあるべき」「プライドは正しくあるべき」というのは、算数のテストの1+1とは違う(1+1だって算数のテストという文脈から外れればエジソンに「どうして1+1=2なの?」とかいって疑問視されることだってある)。
だから僕は「ちょこっとずつ変わればいいや」という消極的な「変わることができるプライド」を持って、このまま生きていきたいなあ、と思います。(尻すぼみ)