〈プロローグ〉
 ドンドンドン!ドンドンドン!
「いい加減にしてくださいよ、サカキさん!」
百回ほどインターホンを鳴らしたあと、五十回以上ドアノブをがちゃがちゃとした挙句、しびれを切らした編集担当のサイトウさんは怒鳴った。彼女は私よりも十歳も年下の普段は可愛らしい女性なのだが、こうなるともはや年季の入った取立屋とそう変わらない。いやはや何が彼女をこうしてしまったのか。きっと締め切りが悪いのだ。
ドンドンドン!ドンドンドン!
耳をつんざくようなドアを叩く音の中、私は気配を悟られないように冷蔵庫を開けた。といっても冷蔵庫に電源は入っておらず、もはや即席麺を入れておく棚と化している。百円以下の麺しか入っていないようなものを選び、静かに冷蔵庫の扉を閉める。ガスコンロは玄関を入ってすぐのところにあるため、今使うのは危険だ。かといって電気ケトルを使えばサイトウさんに電気メーターを見られてしまう。私は緊急用のガスボンベとキャンプ用のバーナーを持ち出し、それを使って室内でお湯を沸かす。一歩間違えれば酸欠で死んでしまうが、すき間風吹きすさぶ私の部屋では何の問題もないだろう。
ドンドンドン!ドンドンドン!
抜き足差し足で即席麺作りに勤しんでいる間も、ドアを叩く音は止まない。あの可憐なサイトウさんをこれほどまでに怒らせる締め切りは、全く罪な存在である。ラーメンの蓋を開け、程よく固めに仕上がった麺を音を立てないように静かにすする。うーむ、自分のせいで焦っている美人編集者を扉の前で怒らせておきながら食べる即席麺は、この上なく美味い。
ドンドンドン!ドン!ガコ!ガチャ!ガコ!ガコ!
「サカキさん、出てこないとここからガス流し込みますよ!いいんですか!」
見ると郵便桶から細いチューブが伸びているではないか。しゅー……と小さい空気音も聞こえる。彼女は私を殺す気だ!しかしこの程度で驚くサカキではない。サイトウさんの前任者に比べればこんな殺人行為など可愛いものだ。クローゼットから六〇リットルのバックパックを取り出し、部屋履きをタフなスニーカーに履き替える。バックパックの側面に備え付けているロープをベランダの欄干にくくりつけると、私はさながらアメコミヒーローのように地上へと滑り降りていった。一週間も身を隠せばサイトウさんも諦めてくれるだろう。そして落ち着いた頃に次の依頼を持ってきてくれるに違いない。
「さらばだ、サイトウさん!」
私は彼女の悔しい顔が見たくて玄関が見える側に回り、彼女に聞こえるように叫んでから、高笑いしつつ走り去る。