僕はうつ病の経験がある。2年ほど前から病状が劇的に良くなり、今では月に一回くらいの頻度で落ち込むくらいで、あとは基本的にノーテンキに生きることができるようになった。しかしもともと自律神経が丈夫でないのか、思わぬアクシデントに見舞われるとあっという間に体調を崩す。昔の小説なんかではうつ体質のことを「神経が弱い」「神経が細い」と表現しているが、なんとも言い得て妙である。
そんな僕が先日TwitterでこんなTweetを見つけた。

大事なのは佐渡島庸平さんの文章の内容ではなく、リンク先の『BLEACH』の作者・久保帯人さんの漫画の方だ。
この中で久保さんは『BLEACH』を描き始めて10年目の頃に、「体を壊した」時のことを描いている。「ただのカゼ」がずっと治らず、それまでバーっと描けていた漫画が突然描けなくなったのだそうだ。「情けない、自分は漫画家失格だと思いました」と綴り、毎日のように自分を責め続け、どうしたら連載を終えられるだろうかと考えるようになったと言う。
久保さんを救ったのはたった一通のファンからの手紙だった。手紙の主は余命1年半を宣告され絶望していた時、『BLEACH』に出会った。それまでは何一つ楽しみに思えなかった彼は、『BLEACH』の続きが読みたいと思えるようになり、始めて「明日」を向くことができたのだと言う。久保さんが「どうすれば終わらせられるだろうか」と考えていた『BLEACH』が、彼の生きる力になっていたのだ。
しかしその手紙の最後には「僕が亡くなったらこの手紙を送ってと頼んだ」という文章があった。そのうえで手紙の主は久保さんにこうメッセージを送る。
「久保先生、最後にお願いがあります。どうか先生の思うままのBLEACHを最後まで描ききってください。僕はそれが読みたい」
これを受けて久保さんはもう一度ペンを手に取り、その5年後に第1話を描いた時から決めていた最終話を迎える。「先生の思うままのBLEACHを最後まで描ききっ」たのだ。(※漫画の最後には久保さんがこの手紙の主を探している旨が描かれています。Twitterやってる人はぜひ拡散をお願いします。)
久保さんが「ただのカゼ」と言っている以上断定はできないが、この漫画を読んで僕は知らず自分のうつ病のことを思い出していた。何をやっても力が湧いてこず、少しのことで絶望的な疲労を感じてベッドに横たわるしかなかった日々を。突然堰を切ったように涙が溢れ、大声を張り上げて泣き続けた時のことを。手足に力が入らず、薬のある台所まで地面を這いずり回った時のことを。そして家族や友人、大学時代の後輩たち、幼馴染や仕事をくれたランサーズの人たちがそんな「情けない」僕を肯定してくれたことを。
うつ病にかかると自分を肯定できなくなる。どうやって自分が前を向いていたかを思い出せなくなる。でも今の僕は声を大にして叫びたい。なんなら声が潰れるまで叫んでもいい。
 
 
あなたを必要としている人・場所は、あなたが望みさえすればいくらでもあるんだ。
そのことを心の底から実感できた時、僕や久保さんのように目の前のモヤが一気に晴れ、自分が何をするべきなのか、何をしたいのかが見えてくるんじゃないかと思う。
でも自分を必要としている人や場所を実感するのは、誰かに言われてすぐにできることじゃない。それくらいうつ病は脳のポジティブ思考を阻害してくる。ただ絶望のどん底に落ちた人が這い上がるには、やっぱり誰かの救いの手が必要だと思う。もちろん全ての人に当てはまることじゃないけれど……。
だから僕は少し決心をした。これから少しずつ、うつ病関連のセミナーやイベントへ参加したり、書籍などからの情報収集の頻度と量を増やしたりして、うつ病の人に対してのメッセージを綴っていきたい。
そうして文章を生業にする人間として、文章で(あるいは話すこともあるかもしれないが)少しでも多くのうつ病の人たちに、もう一度前を向こうと思ってもらいたい。
かなり危険な決心であることも理解しているつもりだ。うつ病体質の僕は、うつ病の人といるとそれだけで「もらう」可能性がある。もちろんそれは僕の本意ではない。僕の信条は「自分が楽しいのが一番」だからだ。なのでその辺りのバランスもよく考えつつ、にはなると思う。
でも、とにかく、決めたんだ。