最近、僕は「僕なんて」と思いすぎ、あるいは言いすぎている。特にクラウドソーシング「ランサーズ」のイベント「ランサー・オブ・ザ・イヤー2017」前後は、あまりにも「僕なんて」が多かった。
周囲を見渡すと、どうにもみんなが自分よりはるかにまともに人生を生きているように思えた。にもかかわらず僕は恐れ多くもパネルディスカッションのパネラーとして登壇し、「トップを走り続けるフリーランスなんて枕詞で紹介されてしまった。褒められたり、持ち上げられたりするたびに、「僕なんて大したことないのに」「どうせお世辞だろう」とひねくれた考え方ばかりしていた。
もともとがそういう性格だから、一度卑屈な方に振れてしまうと、なかなか元に戻らない。この「僕なんてシンドロームは4月9日現在に至るまで続いている。なんとかしなければといつもの筋トレ・ストレッチ・ショッピングなどの策を講じてはいるが、なかなかうまくいかない。サイクリングや山登りに出かければ一挙に解決しそうにも思うが、なぜかそんな気にもならない。これはいよいよまずい。
ただ、頭では「『僕なんて』とか言って、つまんない奴だな、僕は。『〜したい』『〜になりたい』って言い続けてなきゃ、どんどんつまんなくなるぞ」と終始自分に言い聞かせてきた。そこでポンと飛び出るように出てきた答えの一つがタイトルの「軽やかな人でありたい」だった。

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まるで地面から数センチ浮いているかのように、スタコラサッサと歩き、外部からの攻撃なヌラリクラリとかわし、好きなことにだけ興味を示して、嫌いなことやつまらないことには執着しない。何も考えていないようでいて、深く鋭く怜悧な思考を持ち合わせ、その気になれば様々な価値観とにこやかな異種格闘技戦を展開できる。性善説を貫く無邪気さと能天気さと強かさを兼ね備え、少し傷ついてはまたスタコラサッサと歩き出す。そんな人に、僕はなりたい。
多分生来が「重々しい人」なので、完全に軽やかな人になるのは難しいかもしれない。でもだからこそ、ずっと「なりたい」と願い続けていたいし、そのためにあれやこれやと工夫していたい。「僕なんて」なんて、便利な言い訳を使ってうずくまっている場合ではない。きっと、軽やかな人なら、うずくまるのではなくスタコラサッサと逃げているはずだ。

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こんな風に思えたのは、8日に梅田の駅構内を歩いていた時に見かけた少年のおかげだったりする。僕の腰の高さほどの身長しかない彼は、頬を赤く染め、なぜか鬼気迫る表情で地団駄を踏みながらエスカレーターを上ってきた。エスカレーターが終わった途端、彼はさらに興奮した表情になり、僕の横を駆け抜けていく。彼を掻き立てていたのが何かはわからないが、彼はとにかく何かとんでもない衝動に掻き立てられていて、それを全く隠そうとしていなかった。かわいいなと思うと同時に「あいつ、めちゃくちゃかっこいいな。憧れるな」と思ったのだった。彼は軽やかな人とは少し趣が違うかもしれない。でも重々しい僕とは、対極にあるように思えた。
だから(?)今日から「僕なんて」を「軽やかだぜ〜」くらいに言い換えて、春の陽気を楽しみたい。軽やかすぎて地団駄踏んで走り出したりしたい。