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また随分期間が空いてしまったんですが、ちょっと今日は後ろ向きなうえに、自己陶酔気味の文章を書きました。各自ご注意ください。
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「自分は偽物だ」という思い込み

僕は自分が偽物だというコンプレックスがある。

例えば文章。紙媒体の人たちのストイックな文章と比べると、僕が書く文章は軽率だし、軽薄だ。

もちろんウェブ媒体の文章と紙媒体の文章では文法が全然違う。トレッキングとトレイルランぐらい違うし、短距離走と長距離走ぐらい違う。

だから同じ線の上では比べられないのだけど、それはわかってるのだけど、でもやっぱり劣等感がある

あるいは筋トレ。僕はもう5年近く筋トレを続けているけど、そんなに目に見えてマッチョなわけじゃない。取扱重量も大したことないし、減量も本格的にやってるわけじゃない。根暗だからジムにも行けない。比較するのが嫌で大会に出る勇気もない。

気分が落ち込んでいるときに自分の体を見ると、劣等感で押しつぶされそうになる。「こんな薄っぺらい、か細い体で俺は筋トレをしているなんて言ってるのか…」と恥ずかしくて消えたくなる。偽物の自分を隠したくなる。

見た目だってそうだ。最近は見た目を褒められることも少しずつあるけれど、それは人生の半分以上の期間、見た目をどうにかすることに躍起なってきただけのことだ。

僕は昔からルックスに凄まじい劣等感があった。5つ上の兄は小学校の頃から全学年から知られるような美男で、小中と僕はいつも比較されていた。父も母も世間的には美男美女なので「お前は似てないな」とクラスメイトから言われたことも、一度や二度ではない。

そこで僕は、この不恰好な自分をなんとかしたいと、心の底から願った。でも顔や体を取り替えるわけにはいかない。結果髪型や眉やヒゲ、服といった、修正のきく見た目をいかに調整するかに真剣に取り組んだ。

今はそれを続けた結果にすぎない。つまりはあちこちつくろいまくった偽物なのである。

これ以外のあらゆる点において、僕は常に偽物だ。頭の先からつま先まで偽物だ。

つくろって、つくろって

こんな劣等感があるから、僕は褒められたり、評価されると「すごく嬉しい」という気持ちと同時に「すごく申し訳ない」という気持ちを抱く。偽物なのに褒められてしまって、評価されてしまって「すごく申し訳ない」と思う。

そして同時にすごく怖くなる。僕が偽物であることに気づかれたらどうしようと思うと、大げさじゃなく嫌な汗が止まらなくなる。

一度褒められてしまうと、評価されてしまうと、僕は嘘をつき続けれなければならない。ボロが出ないように、その人を失望させないように、僕は偽物でないふりをする

僕は根本的に自分の存在価値に疑問がある。自分の存在自体に自信がない。存在しているだけで価値があるという言葉を、僕は信じきれない。

だから偽物だとバレたら、すぐに見限られるんだと思っている。となると、僕は偽物だとバレるわけにはいかない

偽物が本物になることはない。何をどうあがいても偽物のままだ。油断をすればすぐにほつれてくる外ヅラを、つくろってつくろって、つくろい続けるしかない。その作業を休めるのは、たった1人でいるときだけだ。

この生き方は、僕が僕であるだけで確かに愛してもらえるのだと確信するまで続くだろう。自分の存在自体に自信が持てるまで、ずっと僕は偽物の自分のほころびを、つくろい続けるのだと思う。率直に言って、うんざりする。

疑心暗鬼な偽物に残された道

ただ僕はひとつだけ確信していることがある。それは本物になろうとして、狂気じみた勢いで努力を続ける偽物ほど、見ていて心震えるものはないということだ。

リアリズムの画家はこぞって現実を模写し、現実の偽物である絵画を、できるだけ本物の現実に近づけようとした。だからこそ、「写真のような絵」にはどこか執念じみた迫力が出る。

しかしiPhoneで何の気なしに切り取った現実は、正真正銘の本物のはずなのに味気ない。だから何かしらの加工をして、現実離れさせないとつまらないのかもしれない。

同じように、文章だって、筋トレだって、ファッションだって、勉強だって、何だって、本物を真剣に目指している偽物の方が(逆説的だが)真に迫るのだと、僕は思う。

もちろんそうなるためには、本気でなくてはならない。思い悩み、狂気を帯び、行為の中で自分が消えていくほど行為に打ち込んだ挙句、本物に届かない自分を憎悪し、再び立ち向かう。それくらいの気概がなくては、真に迫るということにならない。

そうして最後には、偽物は本物を超える。そこまでやれば、偽物はオリジナルになる。僕はそう信じている。

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僕は偽物で、僕が僕であればそれでいいという自信もない。だから価値を持つためには、オリジナル、すなわち真に迫り、真を超えた偽物にならなければ、心が安らがない。だとすれば、僕は今の生き方をもっともっとエスカレートさせて、狂気じみた禅僧になる必要があるわけだ。

「真に迫り、真を超えた偽物」
「エスカレートして、狂気じみた禅僧」

これが今僕が目指したいあり方だ。でももちろん、そんな簡単にはこの生き方には到達できない。僕は結局のところ偽物なので、挫けることも逃げることも、落ち込んでベッドから出れないこともある。でも仕方ない。僕は偽物だから、他に選択肢はない。コツコツ、コツコツと、偽物としての自分を磨き上げていくしかないのだ。

だから今日も文章を書くし、体も鍛える。狂気をこの身に宿す、その日まで。