DeNA騒動でも関係ライターに対して「物書きとしてのプライドないの?」とかいう意見があった。これを先日、僕も直接言われた。以下その経緯である。

・知り合いの専門家に「専門家の立場からオススメの映画20本紹介してくれませんか」と言ったところ、「いいよ〜」という快諾をもらう。
・「でも未見で紹介するのはライターとしてダメでしょ。10本紹介するから10本観てレポート書いたら次の10本のリスト渡すよ」とのこと。
・「いや、そんなことしてたら時給100円になっちゃいますよ…。後日レポートは出すんでそれで勘弁してください」
・「そりゃねえよ。せめて5本でも観ろよ。それが仁義でしょ」
・(それでも時給400円だよ…クライアントに報酬あげてもらうか…)「わかりました」
・「頼んだよ。物書きとしての仁義やプライドを忘れたらいつか痛い目見るよ」
・「肝に銘じます」
実際はもっと丁寧に応対していたが、内心めちゃくちゃ落ち込んでいたし、イラついていた。プライドだ仁義だと言って時給100円やら400円で働けというのは、どういう了見だろうか。プライドや仁義では飯は食えない。
もちろん僕だって通せるものなら仁義を通したいし、守り通せるならプライドも持ちたい。でもそんなことをしていたら、いつ爆発するかもしれないうつ病を抱えながら仕事なんてできやしない。今よりもっといろんな人と関わらなきゃなくなるし、ストレスの総量も増えていくだろう。にもかかわらず時給100円とか400円が当たり前になるから、今よりも収入はどんどん下がっていく。結局「プライドも仁義もないライター」を続けることさえできなくなる。食い扶持はゼロだ。
何かを表現したい、何かを伝えたいが出発点の物書きなら、仁義やプライドは重要なのかもしれない。でも僕の出発点はそこにはない。僕の出発点は「自分にできる仕事はこれだけだ」「もうこれができなくなったら死ぬしかない」というごくレベルの低いところだ。仕事上でものを書くのは、「表現の手段」ではなく「生活手段」なんだ。「物書きとしてのプライド・仁義」とかうるせえわ。そんな余裕ねえわ。
もちろん相手の知り合いの専門家が僕のことを思ってくれて言ってくれているのはわかる。文章を書かなくてもお金がもらえるような仕事をしている人には、底辺ライターの実情がわからないのもわかる。それでもやっぱり腹は立つ。「お前が言ってんじゃねえよ」と思ってしまう。
以上みっともなさすぎる愚痴でした。