「ライターとしてどうなっていきたいのか」この疑問には度々ぶつかる。僕の仕事は多少は自分で選べる部分はあるものの(多分普通のサラリーマンよりは仕事の選択権は大きい)、やっぱりクライアントさんからお話をもらって書くことがほとんどだ。もちろんトップレベルのライター、例えば『嫌われる勇気』や堀江貴文さんの著作の多くを手がけている古賀史健さんみたいになると、自分で企画を持ち込んで、それを本にしてご飯が食べられるようになる。

でもそのためには今の僕は実力も努力も覚悟も足りない。報酬に見合う努力はしているつもりだが、報酬以上の文章が書けることは最近稀になってきた。クライアント様だけじゃなくて、読んでいる人にも「お、この文章すごく良いな」と思ってもらえることも、ひょっとしたら減っているかもしれない。

ただその分、供給力の安定感は間違いなく出てきている。それは『記者ハンドブック』の内容をあんちょこにしたり、『文章は接続詞で決まる』という本の内容を一覧にまとめて「正しい接続詞」を意識し始めた頃からだ。今年の4月から6月ぐらいに集中的に自分の文章をチェックし、無意識のうちにあんちょこの内容が思い浮かぶようになる頃には、ほとんどチェックしなくても問題のない文章になっていた。他にもコロケーション辞典や類語辞典を買って、「間違った日本語」を自分の文章から徹底的に追い出すように意識した。

こうしてようやく、物書きとしてのプロ意識が生まれてきて、「もらっている報酬と自分の実力が見合ってきている」という実感も得られるようになった。それまでは正直「もらいすぎている」「どうしてこんなにとんとん拍子に単価が上がるんだ?」「俺は社会人としての基礎ができているだけのクソライターだ」とずっと思っていた。「俺くらいの文章なら誰にでも書ける。俺はただ書き続けられるだけだ」それが周囲から今の仕事を褒められた時の口癖だった。

でも少なくとも今は違う。プロとして文章を書いている自覚があるし、自分が仕事で書いた文章を「誰にでも書ける」とは思わない。ラフを描いて、情報を集めてプロットを組み、そこから細かい情報や要素を取捨選択して、文章にする。この工程を自分と同じスピードでできる人は、「どこにでも」はいない。

多分ライターとしての僕の次のステップは「学ぶ」ことだと思う。師匠とかお手本とか呼べる対象を見つけて、その人のやり方を近くで学び、それを真似る。型を自分の中に作り上げる。本当なら1番最初にこのステップが来なきゃならないのだけれど、それをしないでもなんとか年金や税金、国保料を全部払っても一人で生活できるくらいの収入は得られるようになってしまった。ただこれ以上、つまりもっと仕事を楽しむためには抜け落ちた基礎の部分を穴埋めしなきゃいけない。

ただ困ったことがある。それは「今でも十分面白い仕事・楽しい仕事」をさせてもらっているということ、そして「今でも十分人生が最高だということ」だ。もちろん不足感はある。それを埋めたい気持ちもある。しかし今の均衡を崩したら、「また『あの頃』に戻ってしまうんじゃないか」という恐怖がある。

それだけは絶対に避けたい。「あの頃」に戻るくらいなら、どんな不足も我慢しよう。そう断言できるくらい、うつ病は苦しい。だから多分、僕がライターとして次のステップを踏み出すのは、もう少し先の話になると思う。それまでは山に登ったり、筋トレしたり、自転車をこいだり、夜の街を走ったり、萌アニメを見たり、毎日を楽しく過ごしていきたい。僕にとってはやっぱり「毎日楽しい」が1番大事なのだ。

※ちなみに先日血迷って「カプラ」というフランスの積み木を280ピース15,000円で買ったので、登山・筋トレ・自転車・ジョギング・アニメの中に新たに「積み木」という趣味が加わります。